活動日誌 |「忘れない歌」夕張にかつてあった小学校の校歌 2019年2月11日(月)
寒波の影響も和らいできた夕張です。
現在までのぞみ、真谷地西、沼ノ沢小学校を卒業された方に取材をさせていただきました。
それぞれに地域の特色が出ていて夕張は本当に様々な面があるなーと改めて感じます。
このプロジェクトの最終的な目標である28校分が揃った時にインタビューも合わせ本当に豊かな内容になると今からとても楽しみです。
さて、私の滞在も残すところあと16日となりました。
残す期間内に4校の小学校の撮影を予定しています。 まだまだ話をしていただける卒業生を探しています!
今までの聞き取りから学んだ内容
〈真谷地西小学校〉
昭和22年〜昭和60年 緑小学校に統合し閉校
真谷地小出身の取材では、協力していただいたか方がたくさんの貴重な写真を持参してくださったので、写真を見ながら当時の様子を伺いました。中でも長屋での助け合いの生活の話が印象的でした。何かあった時にふと顔が浮かぶ地域に住んでいる家族以外の存在が多かったのだろうな。と思います。
〈沼ノ沢小学校〉 昭和22年〜昭和60年 緑小学校に統合し閉校
二宮金次郎: 今までどの時代のものかはっきりとわからなかった二宮金次郎像ですが、沼ノ沢小学校時代からのものみたいです。校舎自体は取り壊されていますが当時のものでいまでも残っているのは二宮金次郎像くらいでクラス会があればいつもその周りで写真をよく撮ると伺いました。二宮金次郎像はあと富野小学校を除いていたことはないのですが、他の小学校でもあったのでしょうか。
〈のぞみ小学校〉 昭和61年〜平成23年 紅葉山、登川、楓が統合してできた小学校。その後ゆうばり小学校に統合し閉校
タイムカプセル: 紅葉山小学校時代は“記憶の扉“と言われたいまでいうタイムカプセルの話を伺いました。紅葉山小学校がは移行してのぞみ小学校になった時昔ながらの丸いポストをタイムカプセルとして使用したようです。のぞみ小学校が廃校になるとき取り出したと伺いました。
通学: はじめの方はスクールバスだったけど、生徒の数が少なくなりタクシーになった。私は小中高、徒歩か自転車で通っていたのでタクシー通学は衝撃的でした。
当たり前なのですが資料を読むよりも本人から直接聞いたほうが当時の様子が目の前に広がります。 その物語を私の編集で壊さないように注意しながら作品を完成させていきたいと思います!
(文章・写真/菊池史子)