Day3 海事博物館とW or Mでのトークイベント
Aberdeen Miritime Museum(アバディーン海事博物館)
夕張には石炭博物館というものがありますが、やはり海のまちアバディーンには海事博物館というものがあります。海事と訳したのは、施設の半分が漁業と造船、また半分は石油に関する展示であり、螺旋階段でその両側が結ばれるという構造になっているからです。自然のことなどにはほぼ言及がないので、やはり「海事」が適当なのでしょうね。
アバディーンの街に残る一番古い記録は1399年。漁業から始まり、造船業で発展し、1970年代から北海の油田開発の拠点として劇的に成長しました。それは本当に劇的であったそうで、案内をしてくれたレズリー先生のお父さんいわく、「一夜にして変わった」そうです。
ただ「石油の街」だからといっても、石油会社が拠点をおいたり、人員や物資の輸送の拠点になっているという意味で、製油所があるわけではありません。人口のおよそ40%が石油産業に関係するとのことなので、相当な割合ですね。ここ10年ほどで石油の価格が乱高下し、アバディーンの街はその都度相当な影響を受けているそうです。
「After Oil; what next?」
(石油産業が終焉したら?)
という項目があります。
それは以下の言葉で締めくくられていました。
「In short, no-one yet knows when the oil will run out.」
(結局のところ、いつ石油が枯渇するか誰もわからないのです。)
いやいや、大事なのは枯渇した後の話では…?と思ったのですが、それも結局のところ、誰もわからない、ようなのです。
うーーん。私たちの街は、その後どうなるかをすでに経験してきました。
石油プラットフォームの仕事について、オイルマンたちが誇らしく語るビデオを見た後のこの問いかけにより、「彼らはどこにいってしまうんだろう」と、私は頭を抱えてしまいました。
Associates’ Social: Presentation and conversation w/ Manami Sato
ピーコックビジュアルアーツのスペース、W OR Mでのイベント。
アーティストやキュレーター、北海道でインターンをやりたい学生など10人のゲストが参加。尚子さんの趣旨説明のあと、レズリー先生による夕張のプレゼンテーションがありました。
先生がおっしゃった中で強烈に印象だったのが、
「私のプレゼンテーションを聞いて、みなさんは夕張のことをインターネットで検索すると思います。そこに出てくる廃墟の画像などを信じないでください。それは『夕張は悲惨な街だ』という間違った目線で捉えられています」。
私のプレゼンテーションでは、前半は夕張の歴史的な文脈と炭鉱の閉山後どうなったのか、財政破綻の市民生活への影響の話などを行いました。アバディーンは石油産業のまちであり、主要産業がなくなったらまちはどうなるかということを想像する材料としてお話ししました。
後半は清水沢プロジェクトの活動についてお話ししましたが、非常に面白いと感じたのは、これまで夕張を訪れてきた外国人アーティストは「炭鉱遺産」いや、どちらかというと、ネガティブな意味で「廃墟」から夕張に着眼した人たちばかりでした。しかし昨夜のイベントに来た人たちは夕張についての先入観がないので、「炭鉱のことじゃなくて、夕張のコミュニティをベースに作品制作ができるんじゃないですか?」という質問を2つも受けました。
ちなみに私は下記のように答えました。
「切り口が炭鉱遺産や廃墟でも、その上に今の夕張の暮らしがあるから、コミュニティベースになってくると思います」
「しかしまた、どんな入り口から入ってきても、必ず根っこは炭鉱に行き当たります。それだけ石炭産業の色が濃いまちだったからです。」
昨夜の夕張に対する感想は、夕張の中にいて感じる「外からの目線」とは全く異なるものでした。偏見が入っていないピュアな眼差しに、久々に触れたわけです。
コミュニティベースでありながらも外からの入り口となる役割の清水沢プロジェクトは、日々が偏見と向き合っているわけで、これは本当に骨が折れます。外の人に夕張のありのままを理解してもらうこと、それが地域のファンやまちづくりの仲間を増やすことにつながると確信を持って活動しているので、夕張に関心を持ってくれた人々が本質に触れるための環境や材料を整えていくことも、私の仕事なのではないかと改めて感じました。