清水沢プロジェクト、10周年
清水沢プロジェクトの活動は、この7月をもって、満10年となりました。
修論の調査を起点に
2008年7月、佐藤の修士論文の調査の一環で、当時の空知支庁の事業として、地域資源を発見するタウンウォッチングと炭鉱住宅オープンハウスという2つのイベントを行い、それを踏まえて修士論文では、結論として炭鉱遺産を活用したエコミュージアムによるまちづくりが妥当であるとし、「清水沢エコミュージアム構想」を提言しました。この10年は、それを自ら実行してきた10年でした。
今思えば修士論文は出発点でしかなく、論文の内容そのものにも間違いや事実を誤って認識していることなど多数あり、非常に未熟で恥ずかしいです。このホームページ内にずっとあるのですが、恥を承知で改めてリンクを貼っておきます。現在も清水沢プロジェクトの活動の時点であることには変わりないので、もしご関心のある方はご笑覧ください。(改訂版を作らなければならないですね)
北海道夕張市における地域再生に寄与する観光のあり方に関する研究−炭鉱遺産を活用したエコミュージアムの構想―
佐藤真奈美(2009)札幌国際大学大学院観光学研究科修士課程修士論文(PDF:7.4MB)
アートの力と出会う
その後NPO炭鉱の記憶推進事業団の事業として、清水沢で数々のプロジェクトを実行してきました。転機となったのは、2011年の「夕張清水沢アートプロジェクト」。この時に旧北炭清水沢火力発電所、清水沢ズリ山、JR清水沢駅待合室など、現在につながる炭鉱遺産の活用の道筋を立てたのはこの時でした。学生さん方が市営住宅の一角で滞在制作を行ったことで、「よそ者が隣人として寄り添うまち」が徐々に実現することになりました。
10年間の地域計画を立案し実行する中で、アートとの出会いは当初は企図しておらず、思いもかけずないものでしたが、「ゴミだ、負の遺産だ」とみんなが思っていた炭鉱の記憶に対し、新たな価値観を付与し、眠っていた記憶を掘り起こすために最適なアプローチであったのではないかと感じます。
数々のアーティストがこの地を訪れ、場の力を畏れ、真剣に向き合い表現を行う姿を間近で見てきました。彼らの力で具象化された「地域に対する尊敬の気持ち」は、多くの人々の心を揺さぶる力を持ち、様々な人々がアートの力でこの地域とつながることになりました。
ビジョンが政策となる
2016年、夕張市は市の地方版総合戦略の中に、「産業遺産ツーリズムの拠点としての清水沢プロジェクト」という施策を含めました。私たちの活動が市の施策になったのは、確固としたビジョンと、それを実行してきた地域内外の人々の行動力に他なりません。
財政破綻の後に始めた活動ですが、持続可能であること、足元の地域資源を見直すこと、地域の外の人と中の人がお互いに尊敬し合う関係を作ることを主眼に置いた活動であったので、夕張市が財政再生団体であろうとなかろうと、活動の中身は全く変わらなかったと思います。むしろ夕張が誰の目にも明らかな「失敗」の烙印を押されたことは、持続可能な観光のあり方を愚直なまでに追求するべきだという論拠となっています。
あの時「お金はないが知恵なら出せる」と言って協力してくれた行政マンは、今も尊敬する人の一人です。「清水沢コミュニティゲートは地域の入り口であるとともに時には門番として機能する」というやや極端なマネジメント論に理解を示し、いま清水沢エコミュージアムを市とともに取り組むことができることを、本当に誇らしく思います。
これからも、ともに
お世話になった方々の名前を挙げると枚挙にいとまがないですが、私が清水沢と出会うきっかけを作り、札幌国際大学とNPO炭鉱の記憶推進事業団でご指導いただいた吉岡宏高先生、アートと地域と人を結びつける役割を学ばせてくださった上遠野敏先生をはじめ、この10年に出会ったすべての方に感謝申し上げます。
ここまで全く触れていませんが、地元清水沢の人々、特に宮前町ならびに清栄町さつき町内会の役員の皆さんには、楽しいことも悲しいことも共有させていただきました。
活動の理念に共感してくださる皆様、共に活動する仲間、法人の会員の皆様にもこの機会に改めて心より感謝します。
これからもともに歩む地域を作っていきましょう。
さて、これからの10年は。
それはまた、改めてお話したいと思います。
2018年7月6日
一般社団法人清水沢プロジェクト
代表理事 佐藤真奈美
先日フィールドワークのお手伝いをした北海道大学公共政策大学院のみなさんとの一枚。
私が大学院生のときに実施したタウンウォッチングのときの集合写真と全く同じアングルで驚きました。