それぞれの成果…【アーティスト・イン・夕張】

なんだかんだと走り続けた夏休みも、終わりに差し掛かっています。
アーティスト・イン・夕張も、多くの人々にお手伝いいただき、数々の思い出を刻んで、終盤を迎えました。

遠藤一郎さん

旧緑小に、大きな大きな太陽の絵を描きました。それもたった3日で!
一郎さんチームと一緒にペインティングをしたのは、夕張中美術部のみなさん。
緑小出身の生徒さんもいて、とても感慨が深いと言っていたそうです。
大きな明るい絵は、地元の方からも「あれ、いいねえ。気分が明るくなる」と褒めてもらえました。


(遠藤チームの伊藤悠さんから写真を頂きました)

永岡大輔さん

8日のカンテリヒトパーティーに向けて、テントの組み立て、布のつなぎあわせ、朗読、記憶のレシピ…
と、走り回っていた永岡さん。
8日は本当にステキなパーティーになりました。
地元町内会の皆さんはもちろん、夕張夢再生館の招待で夕張に滞在していた『夏休みふれあいツアーin夕張2013』の福島から来られたみなさんも来てくれて、子どももいっぱい、思い出や夢もいっぱいの一夜になりました。
テントはすぐに旧緑小に移動し、小さな図書室が完成しました。

松本力さん

8日に向けて翔太くんと毎日零戦を作っていた松本さん。
毎日少しずつ姿を現していく謎の物体に興味を示したのは地元の小さい子たちでした。
下は4歳から小学生まで、いつも子どもたちが松本さんの回りにいました。
零戦は完成しなかったのですが、今後廃校の活用を進めていく旧夕張小学校に移動。
今後もプロジェクトは進んでいきそうです。

mamoruさん

今回初参加のmamoruさんは、北海道開拓期に地質調査を行ったお雇い外国人「ベンジャミン・スミス・ライマン」にフォーカスを当てました。
彼が1874年に夕張川の調査に入り、石炭の小塊を見つけて「この上流には優良な炭層があるはずだ」と報告したことが、坂市太郎による夕張の石炭発見につながり、夕張という街が開かれたのです。
文献やインタビュー調査はもちろんのこと、毎日早朝から夕張川を下流から上流まで現地調査し、ライマンが見たであろう風景、聞いたであろう音の体感・採集を行っていました。
そしてついに自ら夕張川で石炭を発見!またライマン同様、夕張川をカヌーで登るという冒険も。

今日18日は、夕張での活動を報告する「来曼研究会」。
ライマンが体感したその時の様子が、mamoruさんによって再現されます。
「その時」があったからこそ、このまちが生まれた。
悲喜こもごもの炭鉱の暮らしが生まれ、今に続いている。
そんなことを考えられるひとときになるのではないかと、思っています。


(mamoruさんのFacebookから写真を一部頂きました。)

また、日本に来る前にインドで調査を行っていたライマンは、晩年に出版した本でカレーの作り方を発表したそう。
今日は北海道調査中に作ったかもしれない?カレーレシピも再現されます。
レシピには、丁寧にカレーの食べ方まで記載されていました。
私は昨日の仕込みで試食したのですが、初めてこの得体のしれない食べ物を食べる人のことまで考えて丁寧に解説を加えたライマンの人柄と、明治初期に食べた人がいたであろう味、そしてここからこのまちが始まり、多くの人々が累々と「生」を積み重ねてきたんだなあ…としみじみ感じました。
そのくらい、コクがあって複雑な味でした。
ぜひ、これからのまちの将来を考える若い人にも来てもらいたいなあと考えています。
アーティスト・イン・夕張最後のイベントとなりますので、ぜひお越しくださいね。
ライマン研究会

「来曼(ライマン)研究会」

8月18日16:00〜18:00
夕張市清水沢宮前町集会所