追悼・海沼榮一さん
前の清栄町さつき町内会町だった海沼榮一さんが、1月19日に亡くなりました。
2011年の夕張清水沢アートプロジェクトの際、夕張市から清栄町の市営住宅を一室お借りするにあたり、私たちが地域の中に入れるように心を砕いてくれました。
その年から始まったズリ山整備の時、初めてのことで誰に何の指示をしていいかわからず、町内会の皆さんに取り囲まれて「ちゃんと指示しろ!」と叱られたものです。距離感のとり方や、筋の通し方。そして甘え方。何度も叱られましたが、その後はいつも励ましてくれました。
いつだったかの整備作業の時、すでに足があまり良くなかった海沼さんは、ズリ山の下の花壇のところに一人で腰掛け、私たちが作業をしてるのをじっと見守ってくれていました。その姿は深く私の瞼に焼き付いています。
夕炭労書記長を務め、その後市議会議員としても活躍。人々の先頭に立って夕張を牽引した一人であることは間違いないのですが、私にとってはずっと、温かさのほうが勝るお人柄でした。
2014年に町内から転出された後も、毎年の町内会の園遊会にはいらっしゃったし、去年は菊池史子さんの「忘れない歌」展覧会も見に来てくれました。
今となっては昨年の園遊会が中止になったことで、半年以上お会いする機会がないままお別れとなってしまいました。つい最近までお元気だったそうで、お顔はつややかでした。
私は相変わらずあがいてばかりいるのですが、それでも確固としたポリシーを持てているのは、活動の初期に関わってくれたみなさんからたくさんのことを学ばせていただいたからに他なりません。そのなかでも海沼さんは別格でした。10年前のメモを見返すと、海沼さんの名前がたくさん出てきます。どれだけ私は頼りにしたのでしょうか。そしてそれを受け止めてくれたのでしょうか。
追悼文をブログに書いたのは初めてですが、この文章を結ぶことができません。「これからもがんばります」で済ますことができません。
2011年のイベントから10年、「初心にかえってしっかりやれよ」ということなんでしょうかね。
わかりました。いい報告ができるように、がんばってみます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
一般社団法人清水沢プロジェクト
佐藤 真奈美