旧清水沢小学校校庭木お別れ会を開催しました
6月8日土曜日、旧清水沢小学校校庭木お別れ会を行いました。
急な呼びかけではありましたが、卒業生や父兄だった方、地域の方など25名の方にお集まりいただきました。
最初に代表の佐藤から、趣旨をお話しさせていただきました。
続いて、開校80周年(昭和57年)にPTA会長だった葛健二さんに、昭和56年の夕張新炭鉱の事故の時のことなど当時の思い出話をしていただきました。
事故の次の日、旭川でPTAの全道大会があった。父兄も巻き込まれており、こういうときだから出席を取りやめようかと思ったが、寄付を集めてくれるという話があり、参加した。
(元PTA会長 葛健二さん)
清水沢小学校の運動会は、父兄は誰もグラウンドを見てなかった。ジンギスカンをやっていたからね。
(昭和53年にお子さんが入学した父兄の方)
千葉から帰省中に新聞で催しを知ったという方(昭和47年卒)の方は、卒業アルバムを持ってきてくれました。
写真に写るハルニレは、今となっては大きく成長したものの、当時はかなり小さい姿。どちらかというと、校門あたりの木の方が、卒業生にとって記憶に残っているようです。
やはりここでも校歌の「夕張山」論争が…
ある時期から昭和57年までは「夕張岳」の部分が「夕張山」だったのです。
なぜかはわからないのですが、参加者の中からは「『夕張のヤマ』の意味じゃないのか」という意見もありました。
「歌詞は覚えていなかったけど、鼓笛隊でやったから、『ミソーソソラソーミ…』のメロディは覚えてるよ」
(昭和39年卒業生)
昭和11年高等科卒業の上木秀子さんは、校歌ができた3年生の頃のことをよく覚えていて、毎日歌ったものだという事で、歌える人みんなで校歌を歌いました。
伐採を行う木は12本、樹種は様々で、子供達に使ってもらう木の玉プールのほかに、彫刻用にも利用する予定です。
オブジェを作ってもらう、市内在住の美術家、櫻井亮さんにも意気込みを話していただきました。
伐採作業は、三笠市の堀川林業さんに作業をお願いしました。
まず、二股になっている枝を落とし、根元に切れ込みを入れます。
全員ヘルメットを被り、離れた場所で見守りました。
ピーっという笛の音とともに、最後の刃が入れられ、大木は倒れました。
業者さんがそっと手を合わせた姿が、とても印象的でした。
切り倒したハルニレは、樹齢70年ほどの意外と若い木で、成長のスピードが早かったようです。
戦後、校舎を立て替えた時期くらいに植えられたものかもしれません。
直径はちょうど1mでした。
これから、丁未の保管場所で1年ほど乾燥し、加工に入ります。
加工は、今回もお別れ会に参加いただいた「ぱれっとふぁーむ」さんにお願いするつもりですが、まだこれから先の資金は集まっていません。
助成金やご寄付で賄おうと思っていますが、まだどの程度費用がかかりそうかもわからないので、これから計画を立てた上で、皆さんにお知らせしたいと思います。
アイディアもぜひお寄せください。
最後に、この日お集まりいただいたみなさま、ご尽力いただいたみなさまに感謝申し上げます。
いろいろな方の思いが詰まった遊具を、夕張の未来の子供達に引き継ぎたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。