活動日誌 |「忘れない歌」夕張にかつてあった小学校の校歌 2019年2月25日(月)
”夕張フォレストファームユースホステル”に行ってきました!
以前はリュックサックだけを背負って日本国内外を旅したことがありました。当時は、(や、それは今もですが)私のような最低限のお金しかない旅人にユースホステルは助かりました。
夕張に唯一あるユースホステルが、”夕張フォレストファームユースホステル”なのですが、ここは本当に美しい場所に立っていて、空が広い!また、一つ一つのお部屋が愛情をかけられて作られたことが感じられます。山小屋に快適さと美しさを盛り込んだ今まででみた一番綺麗なユースホステルでした。
今回フォレストファームさんへ伺ったのは、営んでいるご家族が鹿島の白金地区に住んでいたことがあり、そこにあった鹿島東小学校の分校、奥鹿島分校について取材をさせてもらいたかったからです。
奥鹿島分校は鹿島の白金地区に昭和32年に児童数11名で開校しました。昭和36年には最大児童数14名。昭和53年鹿島東小学校の閉校により鹿島小学校の分校となりました。そして昭和55年鹿島小学校に統合されています。
今回取材させて頂いたのは昭和54年児童数2名だった頃、息子さんを通わせていたお母様とその娘さん達です。
校歌は?というとすぐに歌ってくれました。というのも、この地区では小学校の校歌を地域の歌としていつも行事毎にみんなで歌っていたから覚えているそうです。
小学校はみんなが集う場所としての役割をもち、体育館では地域の常会や健康診断、今でいうワークショップが年に数回行われていたそうです。運動会などの行事は生徒だけではなく、地域の人全員が参加し、みんなで楽しんだそうです。
中でも当時まだ小学校に上がっていなかったふたりの娘さんも、校舎の中身がどのような感じだったかをよく覚えていて、校庭で花火をしたとき、正面にある山に光の影が映っていたなどその時の情景が私にも見えるように話してくれました。
いかに小学校が地域に開かれていてイベント事が行われていたのかが、よくわかりました。
白金地区は谷間のため日照時間が少なく作物も育ちにくい土地で大変だったけれど、生活は一番充実していたとおっしゃっていました。
ちょっとだけですが奥鹿島分校と白金地区での生活を想像することができて私はとても嬉しかったです!
夕張フォレストファームさん、今日はお忙しい中、急な訪問にも関わらず、快く取材に応じて頂き、ありがとうございました!
校歌 (奥鹿島小学校の歌)
浅野明信 作詞
武田 謙 作曲
一、
まばゆく朝日をあびている
夕張岳の山裾で元気に育つ
ぼく わたし
明るく 強く 清らかに
希望の若芽を萌やそうよ
苦しいなんて いわないで
笑顔をうかべ 暮らそうよ
二、
正しく伸びよと茂ってる
千古の森の山道を元気に歩く
ぼく わたし
仲よく うたう 高らかに
希望のこだまを叫ぼうよ
淋しいなんていわないで
笑顔をうかべ 励もうよ
三、
茜の色を映えている
牛舎のみえる分校で元気に学ぶ
ほく わたし
理想の知恵を寄せあって
希望の原野を拓こうよ
泣きたいなんていわないで
笑顔をうかべ 進もうよ
(文・写真/菊池史子)