活動日誌 |「忘れない歌」夕張にかつてあった小学校の校歌 2019年2月12日(火)

以前、紅葉山小学校の作品で3人の教え子と共に出演していただいた濱本先生のご自宅へ伺いました。
今回は映像作品の披露と、先生が勤めていらっしゃった楓小学校と登川小学校についての取材も行いました。
先生の記憶は本当に鮮明で学校の歴史などは年号とともに説明をしてくれました。当時の写真なども大切に保管されています。受け持った学年の一人一人の名前は忘れずに覚えていて、クラス会がある度に先生自らがプリントを作るそうです。濱本先生も以前伺った古城先生もいつまでも当時受け持った生徒達のことを「子供達」と呼びます。それは当時も今も変わりません。その暖かい呼び方が今まもずっと続いているのがとても美しく思いました。

楓小学校は開校80周年の年に閉校を迎えました。校庭にはやちだもの大きな木が生えていてそれは楓小学校のシンボルだったそうです。木造校舎だった楓小学校の生徒玄関へ続く道は傾斜がかかっていて、低学年の生徒はそこで冬はスキーの練習をしたそうです。校舎の裏には原始林が残っていてキノコ狩りなどもできたと伺いました。

私立三井登川尋常小学校と称して大正2年に開校した登川小学校は三井鉱山が作った小学校でした。なんと、その時代には違う校歌が存在していたのです…!登川小学校の校歌は昭和29年に制定との記述があるのでこれが唯一の校歌だと思っていたのですが、閉校記念誌を読んで見ると、当時、私立三井登川尋常小学校だった大正4年に入学した方のインタビューで「三井の水も暖かき、流れをつける登川、楽しみ多き、この庭に学ぶ、我らの様をみて…」という校歌があったとのこと…! もしかすると他の小学校も(尋常小学校と呼ばれていた時代)違った校歌があったのかもしれません。 また、登川小学校の体育館では昭和48年、全国で最後の友子取立式が行われた場所でもあります。

今日のたくさんの貴重なお話をこれからの撮影や編集に活かせばならぬと改めて思いました!

残りわずか15日間!気を抜かずに調査・取材・撮影頑張ります!

協力: 一般社団法人清水沢プロジェクト

(文章・写真/菊池史子)