清水沢駅、120歳おめでとう。その1・お誕生会
2017年2月16日は、清水沢駅の120歳のお誕生日です。
50人を超える、たくさんのひとがお誕生日のお祝いにかけつけてくれました。
お誕生パーティー
このお祝いの会は、清水沢プロジェクトと、元気な子どもたちとお父さん、お母さんたちのグループ「てらっこ屋」が計画し、2月11日に、みんなで駅をとってもにぎやかに飾り付けしました。
JR新夕張駅の駅長さんや、商店街のみなさん、ゆうばり小学校のみなさんたちも協力してくれて、とてもにぎやかにお祝いができ、清水沢駅も喜んでいるのではないでしょうか。
わたしたちもとてもうれしく思っています。
16:08夕張行き普通列車
こどもたちを先頭に、風船を持って、ホームで列車に乗っているお客さんに手を降ります。
風船は、札幌で活動するバルーンアーティストのシオリーヌさんが来て、たくさん作ってくれました。
「こんにちは、今日は清水沢駅のお誕生日です」
歌とケーキでお祝い
バースデーケーキを、駅前の「お菓子のふじ」さんにつくってもらいました。
いちごがたくさん載った、駅舎と列車が描かれたオリジナルケーキ。
昭和15年に当時の駅長さんが記した清水沢駅史によると、清水沢駅周辺はいちごの産地で、いちご狩りのお客さんが1日に2,000人も来ることもあったそうです。
「当駅の一番の行事はいちご狩りである」と書いています。
(てらっこ屋Facebookページより写真をいただきました)
ハッピバースデー清水沢駅!
歌を歌って、ろうそくを吹き消し、このあと、駅の中にいる人たち(マスコミの人たちも含めて!)全員でいただきました。
JR新夕張駅下村駅長は、「お祝いしてくれてありがとうございます」。
駅長さんの制服も持ってくれたので、記念撮影するこどもたちも。
120歳おめでとう、これからもよろしく。
明治23年、1890年に夕張に炭鉱ができました。北炭という会社です。
石炭を運ぶために鉄道が必要になり、たった2年間で、夕張から追分、岩見沢と室蘭の間をむすぶ鉄道を作りました。
清水沢駅は、滝ノ上駅とともに、明治30年、1897年2月16日、120年前のきょう、誕生しました。
清水沢駅ができた時は、近くにほとんど家はありませんでした。
明治44年にのちの三菱大夕張炭鉱の鉄道の専用鉄道ができ、そのころになると、大夕張方面との合流点として人や物が集まり、急にまちが大きくなりました。
その後も、北炭の発電所や、北沢食品の工場ができました。戦争が終わったあとには清水沢にも炭鉱ができて、夕張市内でいちばん人が乗り降りする駅になり、とても清水沢は賑やかになりました。この駅舎はそんなころの昭和31年にできて、ことしで62年です。
しかし、炭鉱がなくなり、1987年、昭和62年には三菱の鉄道が廃止されます。そして国鉄からJRになり、2004年に、北海道でいちばん最後までのこっていた腕木式信号機がなくなり、線路も一本になりました。
そしておととし、2015年10月1日に駅員さんがいなくなり、無人駅となっています。
去年、夕張市がこの石勝線夕張支線を廃止してもいいよといいました。いまJRと話し合いをしているとのことです。
いまは1日5往復、10本の列車が清水沢駅にとまります。
鉄道を利用する人はすくないけれど、バスを待つひとたちがつかったり、わたしたち清水沢プロジェクトは平成23年2011年から待合室で展覧会をさせてもらっています。
今日は、まちの顔として、ずっと清水沢を見守り続けてきた駅の歴史を少しだけお話しました。そして、多くの人たちが、お祝いに駆けつけてくれました。ここに来れないけど、この駅にとても思い出を持っている人たちからもたくさんメッセージをもらいました。これが、清水沢駅の持っている「力」だと思います。
ここにいるひとりひとりのみなさんが、きょう、駅の誕生日をお祝いして、清水沢駅がなんて言っているか、耳を澄ましてきいてくれればいいなあと思っています。
16:42千歳行き普通列車
列車の中から手を降ってくれるお客さんもいました。
そして、清水沢駅さんにお祝いの花束を。
参加者の中でいちばん年上の上木さんと、商店街の北島さんに、代わりに花束を受け取ってもらいました。もちろん駅長にも。
お誕生会はまだまだ続きます。
これから120本のバースデーキャンドルを立てるのです。